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Arthur F. Anton(アーサー・F・アントン)
私とビジネスの関わりは、高校から大学時代、ニューヨーク州ブルックリンのカーヴェル・アイスクリーム・ショップを任されていた頃から始まります。その当時から、スウェージロックで今現在私が考えているのと同様に、店舗運営の鍵はお客さまにあることを意識していました。 お客さまや従業員への接し方、 財政状況の把握、 会社の規定に沿ったプロセスを踏み、品質が保持されていることを確認することなどです。
1980年にニューヨーク市立大学で経済および会計の理学士号を取得、 卒業後はアメリカ中西部の穏やかな社風が魅力的なアーンスト・アンド・アーンスト社に入社しました。 会計の新入社員としてニューヨークの小さなオフィスに配属され、その後 24歳でクリーブランド本社に転勤、幹部の方々多数と触れ合う機会に恵まれました。
常に進んで新しいチャレンジや任務を求めていた私は、さまざまなクライアントを担当し、 税務関係のほか、新規株式公開や債務の精査、企業合併や買収、その他種々のコンサルティング業務に携わりました。
後に、合併を経たアーンスト・アンド・ヤング社では従業員数100余名の事務所で、クリーブランドやトリード、デトロイト周辺の都市銀行、投資会社、また製造メーカーなどの財務に関わるコンサルティング業務を担当しました。
その後、会社のパートナーに昇格できたことは今でも私の誇りです。
スウェージロックへは、会計や財務関係以外の新しい分野の仕事に興味を覚えていた1998年、最高財務責任者として着任しました。
スウェージロック入社後は、財務やインフォメーション・テクノロジー部門の責任者となり、製造、マーケティング、サプライ・チェーン、人事など、さらに広範囲の職務に従事するようになりました。 2000年には、スウェージロックの半導体業界ビジネスの拡大を目指し、中でも特にサプライ・チェーン・プランニング業務に関わりました。 IT分野では新しいシステムを導入し、より合理的な物流システムを採用、またお客さまの要求をさらによく理解できるように務めました。
それからわずか一年後の2003年に最高経営責任者(CEO)に任命されたことは、最高財務責任者の職務を全うすることに没頭していた私にとってまったく予想外の出来事でした。
最高経営責任者としての大きな実績のひとつは、良い人材を集め優れたチームを形成したことだと思います。信頼性や相互尊重などに表される価値観を体現できるチームは、会社にとって最高の財産です。 仕事の実行内容だけでなく、その実践方法こそが重要なのです。
信頼のおけるチーム・メンバーに支えられ、スウェージロックは今まで以上にお客さまを理解し、よりよいカスタム・ソリューションを提供することができるようになってまいりました。 また社会的責任という観点からも、リーン方式による製造原理を採用しました。
リーダーたちに対しては、自分より他のメンバーやチームのために尽くす姿勢を持つべきであると話しています。 この姿勢が今日のスウェージロックを作り上げた基盤であると思います。 また私たちが良き企業市民となる基盤にもなりました。 経営陣はみなスウェージロックのほか、地域への貢献を目指し、地域コミュニティにも積極的に参加しています。
私はシャーウィン・ウィリアムス社、オリンピック・スチール社 そしてクリーブランド大学病院の役員、財政委員会の委員長を務めています。
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Sylvie A. Bon(シルヴィー・A・ボン)
国際的なものの考え方が身についたのは幼いころです。 オランダ生まれの私は、球根の輸出業を営んでいた父の仕事に幼い頃から親しみ、また手伝ってきました。 世界中のお客さまに球根を輸出する仕事であったため、外国からのお客さまが我が家に泊まることも珍しくありませんでした。
両親は、国籍などの経歴にこだわることなく誰に対しても親切で丁重にもてなしていたので、自然と私も他人に対して文化を超えた敬意をはらうようになりました。 企業の経営方法や経営にまつわる苦労も経験し、起業家精神が身につきました。 この意識のせいか私は、世界中で展開するビジネスにいつも惹きつけられてきましたし、また今日においては、日々共に働く世界中のスウェージロックの指定販売会社の持つ起業家精神を尊重しています。
このような生い立ちは、20歳のときにジュニア・プログラマーとして就職したエイブリィ・デニソン社でも役立ちました。 当時インフォメーション・テクノロジーの知識はありませんでしたが、エイブリィ・デニソンが当時ラジオで行っていた人材募集は、従業員にトレーニングを提供し、指導を行うとの内容でした。 そこで私は夜間大学に通い、ビジネスおよびインフォメーション・テクノロジーの学位を取得しました。
エイブリィ・デニソンではインフォメーション・システムの仕事のほか、販売やロジスティクスの仕事にも携わりました。 ドイツのミュンヘンにある販売センターを設立した経験は、製品やお客さまに関わるビジネスを学ぶ絶好の機会で、今でも貴重な体験です。
数年後、私はエイブリィ・デニソンの20億ドル規模のファッソン・ロール部門において、ヨーロッパ全域のインフォメーション・システムを統括する責任者となりました。 出張も多く、多様な文化に触れることはとても刺激的で楽しい経験でした。
1994年にアメリカ合衆国への転勤を打診されました。 オランダを離れることは辛い決断でしたが、仕事のチャンスを失うことはできませんでした。 エイブリィ・デニソンでは、組織の上層部を目指すためには国際的な経験が必須だったからです。
6ヵ月後私は主人と子供たちと共にオハイオ州に引越しました。 異国の地に早く慣れることができたのは、両親が与えてくれた私の生い立ち、つまり文化の違いに対する常にポジティブなものの考え方であったと思います。
当初はエイブリィ・デニソンのアメリカ合衆国内の17ヵ所にあるファッソン・ロール製造拠点のシステムを担当、その後は合衆国すべての部門、そして世界中の部門担当へと責任の守備範囲が広がりました。
その後、株式を公開している会社でいつか働きたいという私の目標を達成する機会に恵まれたのが、オグルベイ・ノートン社のCIO(最高情報責任者)のポストでした。 比較的小規模で、アメリカ国内のみで展開している会社のインフォメーション・システムの構築業務はあまり困難なことではなかったため、人事やサプライ・チェーンの仕事にも携わるようになりました。 学ぶことはたくさんありましたが、2006年にスウェージロックへ入社するまでの期間は、国際的な刺激からは遠ざかってしまいました。
スウェージロックでは2年間CIO(最高情報責任者)を務め、その後別のポストで再び世界中を飛び回ることになりました。指定販売会社を担当する副社長の職です。
今日、私は世界中にあるスウェージロックの指定販売会社を定期的に訪問しています。 各指定販売会社はみな、それぞれのやり方でスウェージロックの価値を実現しています。 それぞれの会社はそれぞれの地域に特有のお客さまのご要望にお応えしています。 つまり世界中のどこのお客さまでも、自国のことばを話し、文化を理解し、またお客さまのニーズを満たしてくれる指定販売会社をみつけることができます。
私がかつて惹きつけられた起業家精神を持った指定販売会社の方々と一緒に働けることは、とても有意義なことです。 この仕事を通じて、私は自分の原点に立ち戻ったかのような新鮮な気持ちを覚えました。
社内で戦略を立てる場合も常に、この計画は世界ではどうだろう?と問うことが当たり前になっています。 日本ではどうだろう?中東では?その他の地域では?という具合です。 そしてこの考え方は社内全体に広まりつつあります。
国際的な規模でスウェージロックに勤務するかたわら、地域の仕事にも携わっています。 オハイオ州北東部の非営利団体にボランティアを紹介する組織である、ビジネス・ボランティア・アンリミテッドの理事会のメンバーを務めています。
Michael R. Butkovic(マイケル・R・バトコヴィック)
私は生涯学習型の人間です。 そしてチャレンジがあれば、いつでも直ぐに走り始めます。 仕事始めは、若い見習い工として工具や金型のメーカーにおけるスタンピング、射出圧縮や成形、プラスチック溶接、また自動組み立て作業を行いました。 当時の仕事がその後、製造やグローバルなビジネス・チャンスの開拓など、30余年に及ぶ仕事につながるとは想像もしていませんでした。
その頃は、工具や金型の熟練工員として認められるようになる目標と同時に、経営工学の学士号取得も目指していました。 その後、蛇口や空気制御製品を取り扱う会社の製造エンジニアとなりました。 そこでは、小売販路のためのプラスチック・パッケージを高周波で密封するプロジェクトの開発に携わりました。 小売店舗の棚に陳列された製品イメージの向上だけでなく、この新パッケージは、陳列棚の製品箱の中から特定の部品だけを抜き取られることの防止にもつながりました。この仕事は業界の「パッケージング革新賞」の受賞につながりました。 この種のパッケージングは今日では一般的ですが、当時は大きな変革だったのです。
スウェージロックの製造部門で高純度バルブを専門に扱うNuproに入社した際、品質、チームワーク、また会社の信頼性に感銘を受けました。 製品の品質、またその製品を設計し、実際に製造している社員の質の高さに驚かされたのです。 彼らの職人的技巧や技術的知識は、私が工具や金型の商売を通じて培った知識をはるかに超えたものでした。 高純度ステンレス鋼を苦もなく黙々と切削する工員たちの姿をとても印象的に記憶しています。
Nuproでは、スケジュール管理および生産管理監督などの仕事に従事しました。 ジョン・キャロル大学にてMBAを取得した後は、CNC機械加工部門の主任となりました。 工場の監督業務に携わる人々に対する敬意の気持ちは今でも持っています。 経営プランを練る社員と、工場で実際にプランを実現させるために働く社員との間の架け橋の役割を果たす仕事は、とても有意義でした。
その後、工場の監督責任官を経て、資材担当マネージャーとなりました。 新しく資材所要量計画(MRP)システムが導入された際は、それより以前に米国生産と倉庫管理協会(APICS)から製造および在庫管理に対して認定を受けた経験を生かし、小グループが組織に対して、MRP IIに関する指導を行うことを支援しました。 数年後、スウェージロックの高純度継手および溶接機を扱うCajonのオペレーション担当マネージャーを経てジェネラル・マネージャーに任命されました。
1999年にスウェージロックのグループ会社が統合された際、カスタマー・サービスおよびアセンブリー・オペレーション部門の責務を担うことになりました。
それまでは一貫して製造部門の業務に携わってきましたが、それに加えて、製造方法や市場、顧客、また顧客のニーズと指定販売会社の間のチャンネル作りなどの新しい手法にも取り組みました。 この情熱は、10年ほど前のスウェージロックの経営部門への採用へとつながりました。 これはスウェージロックのすばらしい一面です。意欲と情熱があれば、個々の社員の成長の機会は無限に開かれているのです。
マーケティング担当副社長として現在は、戦略的価格設定や買収、マーケティング・プランの設定、戦略的業務計画、提携業務および製品やサービスのマーケティング、また会社がますます発展し、顧客へより高い質の価値を提供するための新規ビジネスの開発や創出の支援などを行っています。
私は今まで市場やビジネス・モデルに強い関心を持ち続け、関連書籍を読み、学習してきましたが、 チームの多くの社員も同様です。 B to BやB to Cを含む新たな領域のアイデアを研究し、お客さまへ新しいソリューションを提供する際に応用しています。 その結実が数年前に結成された石油化学業界の顧客による諮問委員会です。世界的な会社の技術リーダーたちで結成された委員会で、スウェージロックがどのようにして、より石油化学業界へ貢献できるかについて指導を仰いでいます。
私個人は、ジュニア・アチーブメント・オブ・グレーター・クリーブランドの委員会のメンバーです。この組織は、小学校や高校生たちへ経済やビジネスに関して学ぶ機会を与え、また地域コミュニティにおいて果たすべき役割などについて熱心に取り組むリーダーにより形成されています。
Franziska H. Dacek(フランチェスカ・H・ダチェック)
私が家族と共にドイツからアメリカ合衆国へ移住してきたのは5歳の時です。幼稚園で英語を覚えた私が家族のスポークスパーソンや通訳の役割を果たしていたことも影響し、言語や正確なコミュニケーションは幼い頃から私が意識をしていた分野でした。
成長と共に言語に対する興味は増し、やがてハイラム・カレッジに入学し、英語およびクリエイティブ・ライティングに関する文学士号を1974年に取得しました。在学中はカレッジの広報課で働きはじめ、簡潔でわかりやすい文章を書く技術が、組織コミュニケーションに与える影響について学びました。 卒業後、ハイラムで執筆したニュース記事や同窓会の会報誌などが評価され、グレイ・ドラッグ・ストアの広報マネージャーに採用されました。 数年後、グレイ・ドラッグ・ストアはシャーウィン・ウィリアムス社に買収され、 それを機に同社のコミュニケーション部門に配属されました。小さなオフィスでしたが、最高経営責任者のジャック・ブリーンが毎日立ち寄る環境でした。 定期的に話をする機会に恵まれる内に、 コミュニケーション部門の人間が、会社の首脳部に対して指針を示したり、サポートすることが可能であったりすることに気付いたのです。 その経験の後、私は自分自身をコミュニケーションの専門家としてよりも、ビジネス・パーソンとして自覚するようになりました。
大学に戻りビジネス・プロセスと言語についてさらに深く学ぶ決心をしたのはその頃で、 1988年にクリーブランド州立大学でMBAを取得しました。
シャーウィン・ウィリアムス社の後はTRW社へ移り、17年以上勤務しました。最終的にはグローバル・オートモーティブ・ビジネス部門のコミュニケーション担当副社長を務めました。 スウェージロック入社は、TRWの再編がきっかけです。
TRWの同僚からスウェージロックに対する高い評価は聞いていましたが、私自身はスウェージロック社や流体システム・ビジネスについての知識はありませんでした。けれども面接の時点ですぐにスウェージロックの掲げる価値観に親近感を覚えたものです。
のちに、お客さまも私と同様、親近感を覚えて下さっていることに気づきました。 品質や信頼性、サービス面でお客さまにこれほど高く評価されているブランドは、今までの経験からも初めてです。 その意味でもスウェージロックは特別なブランドといえます。
ブランディングは現在、私が最も力を注いでいる部門であり、 スウェージロック・ブランドを正しく守り、ブランド・イメージを発展させることを使命と感じています。 ブランド維持のため、宣伝や販売促進も、まず社内で実際に評価されたことのみを実行に移しています。 また今後は、これまであまり公表してこなかった分野についてもオープンにしていきたいと思っています。
社員に対しては、一人ひとりが目標を意識し、その目標へ各々が貢献する方法を考えるように促すことが重要だと認識しています。
また相互尊重はスウェージロック、そして私個人にとっても重要な理念です。私がこの理念の重要性を学んだのは両親からです。 両親は私だけでなく、私の友人に対しても「こんにちは」の挨拶や、「ありがとうございます」と感謝の言葉を述べるように徹底していました。 友達の手前、当時はそんな両親を煙たく思ったものですが、その考えは正しく、 礼儀作法は基本です。
この礼節を、私は職場や地域コミュニティにおいて実践しています。 地域では現在、児童福祉センターと、財団法人メトロヘルスの役員を務めています。 両組織はクリーブランド・エリア在住の個人やその家族たちを支援する団体です。
James L. Francis(ジェームズ・L・フランシス)
オハイオ州北東部出身、ユークリッド高校卒業です。 オッターバイン・カレッジ卒業後は、カヤホガ高校にて英語教師として勤務のかたわら、野球、バスケットボールおよびゴルフのコーチを勤めました。 クリーブランド州立大学にて、カウンセリングの修士号を取得しています。
20年におよぶキャリアのスタートとして、1979年にBFグッドリッチ社の人事部に配属されました。 その後、特殊化学製品オペーレーティング部門や経営部門などの広範囲な職務につきました。
スウェージロックへは2000年に人事担当、副社長として就任しました。 トレーニング、人事、福利厚生や組織開発などを含むスウェージロックの人事業務をグローバルに展開しています。 また、健康、安全および環境部門と同時に組織内の航空スケジュール管理も担当しています。
人事管理協会の会員であり、複数の委員会のセミナーにおいてプレゼンターを務めました。
またコミュニティ活動にも参加しています。 現在クリーブランド州フード・バンクの評議員メンバーであり、テイスト・オブ・ザ・ブランウズ(フットボールのフード・イベント)の資金調達や役員報酬を決める委員会のメンバーです。 アクロンの評議員会であるスタン・ハイウェット・ホールのメンバーであり、人事委員を務めています。 最近はクリーブランド動物学協会の委員にも選出されました。
ゴルフのワールド・シリーズ、ブリジストン・インビテーショナルのボランティアを25年以上務めており、1991年のNECワールド・シリーズ・ゴルフでは大会委員長を務めました。またノーザン・オハイオ・ゴルフ・チャリティーの終身評議員であり、元実行委員会会長です。
1997年にはアクロンのリーダーシップ・クラスのメンバーでした。 アクロン・コミュニティー・サービスおよびアーバン・リーグ、クリーブランドのビジネス・ボランティア・アンリミテッド、サミット教育交流基金、またコプリー・フェアローン教育委員会の委員会メンバーも務めました。
ジムと妻のリンダはアクロンに30年以上在住しています。
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Matthew P. LoPiccolo(マシュー・P. ロピッコロ)
私はガソリン・スタンドを経営している家庭に育ち、大学時代はスノコ・スタンドの経営を手伝っていました。 ガソリンを入れたり、オイル点検や窓を洗いながら経営を覚えました。 現場でのお客さまとの接客を通し多くを学びました。
しかしガソリン・スタンド以外の仕事にも興味のあった私は、 1985年にコンピュータ・サイエンスの学位を取り、指定販売会社システム部門のプログラマーとしてスウェージロックに入社しました。 しばらく働くうちに私の一番の喜びは、インフォメーション・システム(IS)を適用してビジネスを展開していくプロジェクトに参加することであると気づきました。
2000年に経営学修士号を取得してからは、コンピュータ専門以外の仕事にチャレンジしました。 指定販売会社およびロジスティクス部門のディレクターです。
6年にわたり米国、日本、ヨーロッパおよびオーストラリアにおいてディストリビューション・センターの管理を経験しました。 私の所属するグループはその後、工場のカスタマー・サービス・グループと統合され、 サービス・サミットと称するカスタマー・サービス・プログラムを全世界で展開するプロジェクトを手伝い始めたのがその頃です。 サービス・サミットでは指定販売会社の社員を我々の工場に一週間程度受け入れ、また逆に指定販売会社へこちらの社員を派遣したりしました。 その結果、お互いに電話の向こう側の様子がよくわかるようになりました。 直接会ってお互いを知ることはまさに、ガソリン・スタンドでの対面接客と同じで非常に重要なことだと思います。 この活動はスウェージロックにおいて現在も継続的に行われています。
その後、オーダー履行センターの建設という大きなプロジェクトが立ち上がりました。在庫担当と組み立て担当の社員が協同して働くプロジェクトです。 スウェージロックの歴史において一番大きなこのプロジェクトを、2004年から2006年まで担当しました。
この業績に対して米国プロジェクト・マネージメント協会から、PMP(プロジェクト・マネージメント・プロフェッショナル)として優秀なプロジェクトに与えられるカーズナー賞を授与されました。 賞状をオフィスに飾っていますが、プロジェクト・チームのみなで撮った写真を特に大切にしています。
その当時、そして現在も私にとっての興味対象は「人」です。 個人が幸せであれば、仕事も前向きで達成度も高くなります。 「よく聞き、よく学び、助け、そしてリードする」ということばと何年か前に出会いましたが、今でもこのことばを大切にしています。 耳を傾けて学び、学びながら助ける。 インフォメーション担当の責任者として、インフォメーション・サービス部門の統率に際して掲げてきた教訓です。
プロジェクト・チームをリードしていくことは、私の最大の喜びです。 もし「会社にとって重要で、かつ難しいプロジェクトが5つある」としたら、5つのプロジェクトすべてに対してチームを結成し、かつ目標を達成すると思います。 人と共に働き、他人が問題を解決したり大きな仕事を達成する手助けをしたりすることが喜びです。 会社の発展への貢献にもつながる最高の仕事です。
また、スウェージロックのインフラ構造を堅実に保つことも重要な責務です。 社員がPCを立ち上げたときに、システムが信頼でき、最新のものであることが重要です。 スウェージロックのシステムは、お客さまに提供を約束している高い品質性、革新性、そしてその他の価値を生み出す基盤なのです。
チームに対しては常勝集団であることを望みはしますが、武術を通して30年以上培ってきた経験からも、勝ち負けのコントロールは難しいことを理解しています。 コントロールできるのは勝敗の結果ではなく、努力と取り組み方です。そしてそれは継続的改善の原動力です。 「日々一歩ずつ前進」の考え方は武術だけではなく、私自身、そしてスウェージロックのチームにおいても重要であるといつも思っています。そして私の母校トリニティ高校の 職業インターンシップ・プログラムの関係者に対しても同様です。
Michael F. Neff(マイケル・F・ネフ)
私は16歳になる前から働きはじめ、高校時代は造園、塗装、オフィス清掃、新聞配達など、一週間に30時間ほど仕事をしていました。 そのほかにも週末や休み時間には、家の土木事業を手伝っていました。
仕事の種類には関係なく、常にベストを心がける主義です。 リカー・ショップで働いていたときは、バックヤードの在庫の並び替えを工夫して、店舗運営がスムーズにいくようにしていました。
そのうち父と同様、自分でビジネスを運営することに興味がわき、家の事業を手伝いながら通学の可能なアクロン大学で工業経営学を専攻しました。 1978年に学士号を取得する以前には、すでに父の会社で測量員の管理を始めていました。
ティムケン社へは、アクロン大学の教授の推薦で入社しました。 他の会社からは現実的な仕事の提示があったところ、ティムケンからは管理開発プログラムの提示があり、それが気に入ったからです。 ティムケンには17年間勤務しました。 入社してからは、会社運営や管理者になるためのすばらしい基礎トレーニングを受け、またアクロン大学での経営学修士号の取得も支援してもらいました。
企業の品質管理部門に配属された私は、品質および継続的改善ツールの専門家となりました。 1992年には、私の管理していたティムケンの工場が「インダストリー・ウィーク誌」からアメリカにおける最優秀工場ベスト10の候補にあげられました。 自動車業界において競争力をつけるため、品質改善とコスト削減を急ピッチでかつ大胆に行っていたのです。 改善に関しては、すべての社員が協力的でした。 作業現場の改善目標を提示し、それに対し社員が目標達成のためのアイデアをカードに書き込む方式をとりました。 寄せられた改善アイデアは実際に多数が採用されましたが、 スウェージロックでも現在同じ手法をとっています。
他の企業との比較を行うベンチマークの手法を実施していたため、業界内にさまざまなコンタクトができました。 1994年にアローN.A.社へ事業部長として就任しました。 また数年後、以前勤務していた会社の同僚が、彼の当時の勤務先であるニューウェル・ラバーメイド社を紹介してくれました。 同社では副社長として勤務し、リトル・タイクス・ブランド製品の開発期間を2年から6ヵ月に短縮しました。 またグラコ製品の品質に関わるコストを50%削減する仕事の機会にも恵まれました。
そして2005年、スウェージロック社から突然声がかかり、オペレーション担当副社長として入社しました。 現在はバルブおよび継手のサービス・グループから成る一般産業用製造業務に加え、スウェージロック・セミコンダクター・サービス・カンパニーおよびスウェージロック・バイオファーム・サービス・カンパニーの2つの戦略事業体に対する職責を担っています。 またグローバル・ソーシングおよび製造サポートも統括しています。
品質および継続的改善は、常に念頭に置いている事項です。 スウェージロックはお客さま不満足度ゼロを目指しています。 そのためにも標準作業、信頼できるオペレーション、またリスク回避にフォーカスする必要があります。
そのためには、リーン方式です。 リーンとは、継続的に行う旅のようなもので目的地ではありません。 無駄をなくし、人間工学にかなった環境にやさしい方法において、最も低コストで質の高い製品を継続的に提供することです。
私のスウェージロックでの仕事は個人的な達成結果や業績ではありません。 「ひと」が中心となり動き、私は彼らのサポートを行っているという認識です。 夜間や週末に、また平日の勤務時間も、それが事務室でも現場でも、 私が常に考えていることは、部下を統率し、品質や継続的改善、またその他のスウェージロックの価値を実現するリーダーとなるべき「ひと」を育てることです。
地域コミュニティにおいても同じような思いで活動しています。 肉親との死別の際に家族を支えてくれたコーナーストーン・オブ・ホープ理事会のメンバーを務めています。 そしてアクロン大学の経営学部の顧問委員会の委員、また工学部の顧問委員会の委員も務めています。
David E. O’Connor(ディヴィッド・E・オコナー)
子供の頃のとある夏、洗車サービスの店舗で働いた時にお客さまについて学んだことがたくさんありました。 お客さまは千差万別で、ある人は静かですが、話し続ける人もいます。 文句を言う人もいれば、時間に追われている人もいました。 その夏、私は自分のコミュニケーション能力について考え、お客さまの声に耳を傾けることの大切さを身にしみて感じました。 さまざまなお客さまと触れ合い、またたとえ難しい状況であってもお客さまとの交渉を楽しみ、よき思い出とすることができました。
デイトン大学で情報管理システム(MIS)を専攻した際も、コンピュータ・サイエンスと人との関わりの両方に対する自分自身の興味をうまく融合できました。 デイトンの小売業者の初心者プログラマー時代は、注文購入プロセスや買掛金勘定をシステム化する業務につきました。 後に、ベンチャー投資家が資金提供をしている会社に入社し、セキュリティ・ソフトウェアを担当しました。 この仕事を通して、価格に関連して販売サイクルも重要であるという認識を深めました。小規模のビジネス経営が直面する現実に対する知識を深めるきっかけとなりました。 この経験により金融業務方面へ仕事がシフトすることになり、コロンバスにあるバンク・ワンへ入社しました。
バンク・ワンの電子バンキング・グループへ5年間勤務し、小売業者がATMやクレジット・カードを利用した取引を可能にするソフトウェア開発に携わりました。 この仕事を通じて銀行業界の経験を積んだ私は、他の金融機関のチャレンジもこなしていくことになりました。この5年の間、私にとっては未知の業界でしたが、常に熱心に指導してくれる人々に多数出会いました。
その後、さらにビジネスに影響を与える仕事に携わりたいという欲求が生まれてきました。要求されるプログラミングをこなすだけではなく、ビジネス要件を開発し、定義づける仕事です。
その当時コンサルティングのポストを提供してくれたのがアーンスト・アンド・ヤング社です。 そこでの最も大きなプロジェクトは、キーコープ社のカスタマー・インフォメーションの新規データベースの導入でした。これはカスタマー・データから、お客さまをよりよく理解し、よりよいサービスを提供することが目的でした。 とても難しいプロジェクトでしたが、確実な人間関係の構築や影響力を持つ重要性について学ぶよい機会でした。 ここでもまた、私の成長に深く期待を寄せてくださった師匠に恵まれたことは、とても幸運でした。
数年後スウェージロックと出会った際は、この会社の顧客第一主義や信頼性などの価値観がすぐに心に響きました。出会ったすべての人が一貫して正しいことを正しく行っていたのです。 スウェージロックのような新しい組織で新しい産業について学ぶ機会を見逃すことはできませんでした。 すぐさま技術的なバックグラウンドを利用しつつ、グローバルに展開している企業が抱えている課題を理解することに務めました。 やがて最高情報責任者(CIO)の職に就任したことは大きな喜びです。
常に新しい分野の勉強をし、お客さまに接することを好む性質が、今のカスタマー・サービス担当、副社長の職務につながったと思います。 組織の顧客第一主義をさらに追求するために必要な変革を受け入れた社員、また彼らの献身に対して、とても感謝しています。 そしてスウェージロックの素質ある社員を指導し、開発していく機会を楽しんでいます。社員全員が発展途上であり、進歩の道を模索しています。 私の主要な責務は、組織がお客さまのニーズをよく理解することを助けつつ、お客さまに対して社員が熱心に対応できるような環境を整えることであると考えています。 この役割において、システムに対する思考方法が大いに役立ちました。 現在の責務に応用できる点が多数あります。 たとえば倉庫業やロジスティクス、それに加えてカスタマー・リレーションシップ・マネージメント(CRM)、製販協働補充、またその他のカスタマー・サービスなどです。
コミュニティ地域では、ボーモント校およびグレーター・クリーブランド・スポーツ・コミッションの委員を務めています。
David H. Peace(ディヴィッド・H・ピース)
1970年代の中ごろ、代替燃料がようやく出現し始めた頃、人口2500人のニューヨーク州ポートヴィルに暮らしていた私たち兄弟は、金物店へよく出入りしていました。 かっこいい材料で何か作ろうという目論見です。 店主は我々のポケットにお金があまり入っていないことを知りながら、いつも笑みを浮かべて迎えてくれたものです。 いろいろな部品をみつけては簡単なソーラー・パネルを作っていました。未来へ挑戦している気分だったのです。
高校でもソーラー・パネルを作り続け、地元や州のコンテストでいくつも賞を受賞しました。高校3年のときに、世界最大規模の科学コンテストである International Science and Engineering Fair (ISEF)で3位に入賞しました。 また友人たちは倹約家が多かったため、古い車やオートバイをつねに修理したり整備していました。
ギャノン大学では工学の研究に没頭していましたが、文芸分野に対しても興味を持っていました。 学内の施設で働きはじめてからは、キャンパス周辺で使用する草刈り機やその他の器具の修理などの簡単な仕事を受け持つようになりました。 大きなトラクターが故障したときは、解体して、新しい部品を注文して修理したものです。 それ以降は、熱伝導や熱力学の授業を受けながらキャンパスの機械工として働き、また哲学や神学の授業も受講していました。
私は常に新しいものに興味を持っています。 マーク・トウェインのことばにこうあります。「自分の意見が多数派の意見と同じだと思ったら、しばし立ち止まり、よく考えるべきである」 私はたとえ現在あるものが問題なく働く場合であっても、新しいものを模索することが好きなのです。 新しいもの好きといっても、新しいテクノロジーそのものではなく、問題をよりよく解決するための総合的なアプローチを探します。
エンジニアとして面接を受けたときから、スウェージロック社やスウェージロックの漏れのないチューブ継手技術は、私にとって大変魅力的でした。 しかしそれ以上に魅力的だったのは、人のつながりでした。 素晴らしい組織の一員になりたいと、心から思いました。 そして卒業後の1986年、製造エンジニアとしてスウェージロック社へ入社しました。 最初の6ヶ月は、工場でさまざまな種類のバルブや継手の機械加工に従事しました。 また高純度製品の新しい製造プロセス開発の仕事にも関わりました。 当時この分野のビジネスはスウェージロックで急成長していました。 半導体業界が活性化してきており、材料や仕上げは常に変化を求められていたのです。
スウェージロックの高純度オペレーション部門で経験を積み、16年後、スウェージロック・セミコンダクター・サービス・カンパニー(SSSC)のディレクターを務めました。 バルブを精巧に仕上げることもわくわくすることでしたが、カスタマー・ニーズについて学び、それを今までスウェージロックが提供してこなかった製品やサービスへと実際に応用することはさらに楽しい仕事でした。 新しいソリューションを生み出すのに必要な機器や材料、方法、また人材の選定に関しては、工場での経験が役に立ちました。
お客さまが真に求めていることを理解することがすべてです。 2004年には、マーケティング・グループに製品および市場開発ディレクターとして任命されました。 私たちが注目したのは代替燃料や原子力などの新興市場です。 スウェージロックが部品だけでなくカスタム・アセンブリーとしてお客さまのニーズに応える新しい手法である、カスタム・ソリューションの導入を支援しました。
エンジニアリング担当副社長として、技術開発、材料化学、新製品開発の職責を担っています。 私の主な役割は、独創性や革新性が育つようなチーム、環境、また資源をつくることです。 数多くのアイデアは、グローバル・テクノロジー・センターを通じて地域で実践されていきます。 今でも技術的なチャレンジは魅力的ですし、また最新のデジタル・デザイン・ツールから得られるデータには魅了されます。なぜならば、それらがお客さまの課題解決に貢献し、ご満足いただけると確信しているからです。
社外の活動としては、地域コミュニティ活動に積極的に参加し、クリーブランド・エンジニアリング協会 Build Up Greater Cleveland、スウェージロック基金、またグレートレイク科学センター(グレーター・クリーブランド・コミュニティの子供たちや科学を支えている素晴らしい機関です)の理事会のメンバーを務めています。
Frank J. Roddy(フランク・J・ロディ)
スウェージロック社の副社長、最高財務責任者として経理、報告、資金および税務、サプライ・チェーン、原材料機能を含む組織の財務管理やリスク・マネージメント業務を担当しています。 1993年に税務ディレクターとしてスウェージロックに入社し、1999年に財務部長となりました。 2000年5月に最高財務責任者に任命され、2007年には「クレインズ・クリーブランド・ビジネス紙」の「CFOオブ・ザ・イヤー」に選出されました。
スウェージロック入社以前は、アーンスト・アンド・ヤング社にて税務上級マネージャーを務めていました。 アーンスト・アンド・ヤング社における9年間の在職中、スウェージロックを含む世界的な製造会社に対し、税務、経理、監査の業務に携わりました。
ジョン・キャロル大学で経営学・会計学の理学士号を取得しています。 オハイオ州公認会計士協会、アーンスト・アンド・ヤング社ノースイースト・オハイオ州OB諮問協議会のメンバーであり、FMグローバル社のクリーブランド諮問委員会に在籍しています。 また、セントラル・カトリック高校クリーブランドの役員を務めています。
私がオハイオ州フィンドレーの郊外に住んでいたころ、父は地元にあったフォード社の工場で働いていました。 安定した工場の仕事でしたし、 父は自分の仕事が大好きでした。 しかし、父にはもう1つ副業があり、窓ガラスや防風ドアの取り付けを行っていました。 8歳になったばかりの頃、私は父を手伝うようになりました。 私は家のガレージで、窓の日よけをはじめさまざまな部品を製作していたのです。 父は工場から戻ってくると、よく私が作ったものを現場へ運び取り付けていました。
仕事の話になると、父はいつも「必ず保証を忘れてはいけない」と話していました。 もし取り付けた窓ガラスやドアに問題があれば、どんなお客さまでも父は必ず戻って直していました。 その時、私ははじめにきちんとした仕事をすることがどんな時も大切だということを学んだのです。
私は大学進学と共に家を離れ、ケタリング大学(旧GMI技術・経営研究所)のCO-OPプログラムを利用して、父と同じように工場の仕事を始めました。 3カ月間授業を受けると、次の3カ月間はゼネラルモーターズ社の鋳造工場で働くという生活を送っていたのです。 私は成形機を使い、鉄をエンジンブロックに成形する作業を行っていましたが、 そこは蒸し暑く埃っぽい場所でした。
しかし私は情熱を持って製造の仕事に取り組んでいました。 私は工場が大好きでしたし、 自分が選んだ素材や部品を何か価値あるものに創りあげていくことが楽しくて仕方なかったのです。 私は無駄を省いて物づくりを進めていく方法についても模索する機会を持つようになりました。
ケタリング大学を卒業後、私はアライドシグナル社へ入社しました。 そして数年後、私はプロジェクト・エンジニアや設計エンジニアとして働きながらMBAを取得し、その後デトロイト郊外にあるアライドシグナル社の工場へと移りました。 そこで私は助手席用のエアバッグを製造する新しい工場の設立に携わりました。エアーバッグは1990年代初期に普及した新しいビジネスです。
そこで私は無駄のない効率的な製造方式と製造品質について学び始めました。しかしアライドシグナル社製乗用車用シートベルト部門のマネージャーになってはじめて、製品品質について学んだのです。 製品はどのように機能したのか? 信頼できるものであったのか? 耐久性はどうだったか? その後の「保証」をきちんと行っているだろうか?ということを考えるようになりました。
フォード社や子会社のビステオン社にいた数年間は、「徹底した無駄の削減」に取り組んでいました。製造の合理化と無駄の排除は私にとって魅力的なテーマだったのです。
2006年、スウェージロックが主要製品を製造するチューブ継手グループのディレクターを探していた時、私には挑戦する準備が整っていました。 フォード社やビステオン社にいた頃、私は原材料をまとめて入荷し、製造やアセンブル、運送を効率よく行う方法はないかその最善策を考えてきました。
今、私は副社長として、製造戦略に携わり、 国内外でどのような設備や方法を採用すればよいか、私たちの工場や物流センターにはどのような工程が必要なのかを検討しています。 また、「継続的改善」や「高品質」を推進する立場として、スウェージロックの社員に継続して改善の道を模索する方法を伝授しています。
「継続的改善」や「高品質」はスウェージロック・ブランドには欠かせない重要な要素となっています。 こうしたスウェージロック・ブランドがあるからこそ、お客さまは私たちを信頼しているのです。 高品質の実現は絶対に欠かすことのできないものです。 しかし、「保証を行う」という姿勢をもってスウェージロック製品を支えていく良き人材を育てることも同様に重要なことなのです。
私は、スウェージロック基金やクリーブランド地区の製造業支援団体であるWIRE-Netの役員として、「継続的改善」や「高品質」に対する熱意を皆さんと共有していけるように努力していきます。
今思えば、スウェージロックは、ウィスコンシンにある小さな町で生まれ育った私には最適な会社だといえます。そんな小さな町で暮らしていた少女は、二人の先生から強い影響を受けて育ちました。先生たちは、私に学びへの強い意欲を吹き込み、探究心をもって物事をよりよくしていくこと、大きな世界に飛び出し、努力をして有意義な何かを成し遂げることの大切さを教えてくれました。
大学ではコミュニケーションを専攻すると共に、哲学、倫理、メディア、文学、さらには機械製図についても学びました。大学も後半になると、私はリーダーシップに興味を持つようになったのですが、そんな私に教授が生徒会の副会長に立候補するよう薦めたのです。生徒会での活動に従事することで、私は大学に恩返しができただけでなく、人とコミュニケーションについてさらに知識を深めることができました。
私のスウェージロックでのキャリアは、Oリングや金属コイルといった製品の購買担当として始まりましたが、それ以外にも、社内向けの事務用品を購入する業務も担当していました。他部署の人たちが事務用品を頼みに私のところへ来るのですが、その時に私は依頼者のことやその人たちが担当している業務のこと、また会社がどのように動いているのかを知ることができました。どんなことでも知らなければ気がすまない性格の私には、理想的なスタート地点であったと思います。
その数ヵ月後、私はサプライ・チェーンにてスケジュール管理に携わり、その後は生産管理のスーパーバイザーやプランニング・マネージャーをはじめ、さまざまな業務を経験しました。大学の学費を返済するため、私は定時後や休日を利用して工場でも働いていました。私は作業着に着替え、継手を磨いたりガスケットの取り付けを行ったりしました。こうした経験から再び得た真の価値とは、異なる現場で働く人たちのこと、そして彼らがどんな風に会社の成功に貢献しているかを理解するようになったことでした。リーダーシップを発揮する立場になるにつれ、私は、これまでに出会った多くの師が私にさまざまなことを教えてくれたように、今度は私が人に教える役割を担いたいと強く思うようになりました。
あるプロジェクトのため、私は日本とヨーロッパにサプライ・チェーンを設置する役割を担うこととなりました。私たちの会社は変化の途上にありましたし、買収も含めてさまざま角度からビジネスを成長させていこうと戦略を練っていました。私がインターナショナル・ビジネスや法律に興味を持ったのはそんな時期で、最終的には、法科大学へ行くことを決意しました―弁護士になるためではなく、これから取り組んでいくプロジェクトで起こりうる法的な課題にどう対応していくかを理解したかったのです。
後に、スウェージロック半導体業界のサプライ・チェーン・マネージャーとして、私はサプライ・チェーンの系統的な規律と変則的なカスタマー・サービスの規律を統合させました。半導体業界の変動は速く、お客さまに提供する製品やサービスに関する情報をいかに迅速に伝えるかを考えることは、とてもやりがいのある挑戦でした。
お客さまが求めているものは何か、お客さまを満足させるものは何かを見極めることは、常に私の関心となっています。それは大学時代にステーキハウスのポンデロサでウェイトレスを務めたり、スポーツ洋品店で靴の試着を手伝ったり、また大学内にある癌科のクリニックの患者さんで経済的な問題を抱えた方たちをサポートしていた頃からずっと考えていたことです。お客さまにとって本当に大切なものは何なのか?お客さまの日常を快適にするにはどうすればいいのか?その思いはスウェージロックで働くようになった今でも変わりません。
「顧客第一」は、コーポレート・コミュニケーションズの副社長として、今後も取り組んでいきたいバリューの一つです。顧客のニーズを常に把握していれば、スウェージロックが戦略的に成長し続けるためにどんな行動を起こせばよいのかを決める指針となります。私の役割は人と情報そして創造力をつなぐことです。創造力により人は複雑なものを簡素化することができ、また自分自身や自分のチーム、顧客への価値を高めようとします。
社外の活動としては、10代の若者が主体的に社会で自立できる力を育んでいけるように支援する活動に興味があり、ジュニア・アチーブメントのボランティア活動をはじめ、10代の若者をサポートするSupport To At Risk Teensの役員を務めています。また、私のようにアルツハイマー病と闘っている家族のために情報を提供することも自身の大切な役割と考え、米国アルツハイマー病協会(Alzheimer’s Association)の社会活動にも携わっています。
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Swagelokバイオ製薬用継手は、ASME-BPE継手規格に準拠するため、, Purity Systems Incorporated, 第三者機関による検査を受けています。.
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